#035-0018「ベロニカからの旅立ち」2009年06月01日 18時40分13秒

 見送るベロニカに手をふっていた。そのとき後頭部に衝撃があった。後に、ホームにいた若者が傘でバッティング練習をしたのだと判明した。駅構内で傘を両手でもつことが禁止される以前の話である。ハゲ頭を窓から出さないようにと毎度車内放送があるにもかかわらず……。わたくしは憂鬱になりかけた。女の車掌さんが――あるいはガードマンかもしれない――近づいてきて、赤くなった後ろをなでてくれた。
 わたくしは我をとりもどすと、隣席の『おんなのこの正体』を読んでいる女の子にコエをかけた。制服からするとY谷にあるミッションスクールの生徒だろう。彼女の肩口にはねて黄金色のシミができた。周りの乗客たちはみな気づいて、おかしさをかみ殺した顔でうつむく。ひとりが○ニスをだして踊り出す。わたくしは妥当な範囲の会釈を返した。平成も20年を経過し、挨拶のトレンドも浸透しているのだ。
 驚いたことに、女の子は初体験だったようなのだ。彼女は驚きと怒りのまじった表情でわたくしをにらんでくる。わたくしは言い訳するような気持ちになって、場当たりな質問をした。
「なぜ自分の中に入ってこられるのに侵犯と感じないんでしょうか」。
「自分の部屋に招待するようなものだから」というのが彼女の答え。「許可なく入ってこられるわけじゃないから」
 その答えはゆっくりわたくしの官能のクボミを通過した。ひとに言えない幻想がからだを歓ばせるのを知っている者だけが、想像のなかで彼女にアクロバチックな姿勢をとらせる。もっとも、共有できないものはあるべきだ、とわたくしは思っている者だ。そして、彼女も同じ考えであってほしい、と思っている。そのときすでに恋していたと、言われても仕方がないのであるが。
「サしてから気がつくんです。マチガイに。取り返しのつかない段階になってはじめて。まるで後悔するために生きてるような感じ」
 わたくしの無防備な話しぶりに気をゆるした彼女が口を開いた。
(文字数:800)
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#035-0017「欠伸」2009年06月01日 18時39分56秒

 散歩なんて柄でもないし、もちろん公園なんて柄でもない。ただ家に居られなくて無闇に歩いていただけだ。俺は不貞腐れたような素振りで空いているベンチに腰掛けた。
 子供が遊んでいて、母親が喋っていて、老人が座っていて犬が吠えている。春の光が公園の隅々にまで差し込んで、木々の若葉が流れるような音を立てる。
 まるで、何事も無かったかのように。

「来ないの?」
 不意に隣から声がした。
「何だよ」
 振り向かなくても声でわかる。
「逆方向だよな、ここって」
「うるせぇ」
 不意に欠伸が出た。大きな口から言葉が転がり出る。
「俺は認めねぇからな、絶対」
 くすっ、と笑い声が聞こえる。
「変わらないねぇ、そういうトコロ」
「うるせぇ」
 春風が頬を掠めて通り過ぎる。奴のリズミカルな足踏みが言葉の隙間を埋める。
「お前だけだぜ、見舞いに来なかったの」
「嫌いなんだよ、病院とか」
「どっか悪いのかなって、気になってさ」
「馬鹿野郎、他人の心配なんかしやがって。お前がどんだけ心配かけたと思って」
「へぇ、心配してくれてたんだ」
「……んなわけねぇだろ、俺は」
 大きな欠伸が続けてふたつも出る。
「変わらないねぇ。安心した」
 奴は隣でくすくす笑っている。
「そこがお前のいいところだからさ、まあ頑張んなさいよ」
「相変わらず上から目線だな。タメだろうがよ、俺等」
 何度目かの欠伸で、鼻の奥がつんとする。
「じゃ、そろそろ行くよ。みんな待ってるし」
「俺は行かねぇぞ」
「わかってるよ」
「認めねぇからな」
「わかってるって」

 俺は絶対、認めねぇからな、お前が……。

 俺は立ち上がった。振り向いたベンチに人の気配は無く、公園は相変わらず春の陽射しに覆われている。
 昔から涙を堪えると代わりに欠伸が出る。俺は空を見上げて、大きな欠伸を繰り返しながら歩き始めた。目尻に浮かんだ涙を手のひらで擦る。畜生、何でこんなにいい天気なんだよ。何で今日も空はこんなに青くて、世界は何ひとつ変わりゃしねぇんだ。
(文字数:800)
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#035-0016「ふりしきる桜のしたで」2009年06月01日 18時39分40秒

 四十年も前になるだろう、一人の田舎者が青雲の志と期待を胸に秘めて東京に人生の旅立ちをしたのはつい此の前の様だ。始めて見る大都会其の規模の大きさと素晴らしい建築物には圧倒される。嬉しい!私の胸ははち切れんばかりに膨らんで、何か良い事が起きそうで高鳴るのを覚える。当時クラス中大学に進学する者は二名ほどで、殆ど全て就職していた。私も例にもれず、工業高校機械科専攻一端のエンジニアだと自負していたのである。
 私のクラスでも進学した者は二名だけだった。一人は私、そしてもう一人は背の高い美青年で名を匠と言った。偶然にも二人は同じ大学に合格した。匠と私は夜汽車に揺られ朝霧の漂う上野駅に降り立つ。坂を上るとそこは桜で満開だった。なんと美しい風景!しかし綺麗なものは桜だけではなかった。いや、やはり美しきは桜と言うべきだろうか。丘には一人の女性がたたずんでいた。それが私達と桜との出会いだった。

「匠くん負けないでっ!!!」
 4年後、匠は武道館でライバルとの決勝戦を演じていた。
 応援席最前列には、私と、桜の姿があった。
 私は匠の親友であり、桜は恋人であった。
 武道館での決勝戦、それは死闘だった。
 こんなに激しく、熱く、火の出るような試合を私は見たことがない。
 匠の熱い魂と、それに負けんとする男との、気迫のぶつかり合い。
 熱気で武道館内に濃霧が発生したかと思わせた。

 数ヶ月前、私は大学を卒業した。
 しかし、この3人には卒業なんてものは無かった。

 いや、そう思っていたのは私だけだ。

 別れの言葉は記憶にはない。風が強かった。桜並木がごうごうと枝を振り、花びらが渦を巻いた。あの日私は、恋人と親友を同時に失ったのだった。
 年月は全てを押し流した。それでもここに立つと思い出さずにはいられない、もう還らない時を。若かった我々を。
「おじいちゃーん」
 満開の桜の下、孫が手を振る。今行くよと踏み出した足先に、薄桃色の花びらがはらはらと舞い降りた。
(文字数:800)
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#035-0015「とある( )~文章塾バンザイ!~」2009年06月01日 18時39分18秒

問35 次の文章の(  )内に適切な語句を入れなさい。


僕らは、飛行船に乗っている。

誰かが言う。
「人間に必要なものは、(  )(  )(  )だ」
外を眺めながら訊ねる。
「無人島に(  )を一冊持っていくなら?」

すると叫び声。
「あ! (  )だ!」
「きれいね。空中で(  )してるみたい」
「私、(  )式で演劇やったの。でもセリフ飛んじゃって、(  )のアドリブで(  )言ったら、それが大ウケ」

「変だな。(  )だなんて」
「あら、こういうのを(  )っていうのよ。日本人なら、この風景を見て、(  )って思われるような俳句でも書いてみたら?」
「小さく白き (  ) 字余り」
「それ俳句? 句の中に『:』が入ってるのね」
「君も一句」
「積もれども(  ) (  ) この(  )」
「字余りすぎだよ」
「自由句よ」
そう言って、誰かが楽しげに(  )む。
多分、今は(  )なのだろう。
でも、僕らのいるこの(  )の中からは、季節がはっきりとしない。

(  )がしてくる。
ちょうど体が冷えていたところだ。
ということは、今は冬?
「(  )じゃない? ほら、地上ではみんな凧揚げしてる」
本当だ。
(  )! 頭が変になりそうだ。
「悩むことないさ。これは連想ゲームなんだ。(  )という具合に。」
(  )姿の誰かが言う。
「さあ連想してごらん」
「(  )」
僕らは順番に答える。
「(  )」
「(  )」
「独立記念日」
「戦争」
「アルマゲドン」
「(  )」

誰かが、手を振って合図する。
「もうやめ! 暇つぶしに付き合ってられん。(  )んだから!」
でも僕らは無視して続ける。
「予言」
「666」
「(  )!」
「すごろく」
「年越しそば」
「なんだか連想が、(  )になってきた」
僕らはどっと笑い出す。

どのくらい時間が過ぎただろう。
飛行船の中まで(  )色に染まっている。

「僕らはいつか死んでしまう」
「いや、生き続けるさ。だから、そんな(  )を書くのはやめだ」
これは、明るい(  )だ。
僕らは、そう確信する。

飛行船は、どこへ行くのだろう。
どこへ行っても大丈夫。
僕らはもう、(  )の支度はできているから。

(文字数:800)
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#035-0014「また会いましょう。」2009年06月01日 18時38分59秒

「私が始めてこの文章塾に投稿させていただいたのは、第5回の「ゆき」がテーマのときでした。以来15回までの連続で11回投稿をし、17回から34回の間に8回。文章塾のゆりかごで3回に5作。合計で27作のフィクションを投稿し、皆さんからの暖かいコメントを頂戴いたしました。
文章塾の本を作りましょうというときにも名前だけ参加させていただいて嬉しいことに作品まで載せて頂きました。これは私の家宝になる予定です。
文章塾の素晴らしいところはやはりコメントの存在が一番に思われます。優しいコメント、厳しいコメント、多々頂戴いたしました。誹謗中傷など一切無く、スッと胸に頭に入るような素敵なコメントばかりでした。
おかげで、色々な方のブログやホームページにも立ち寄らせていただくことが出来、投稿していなくても楽しい日々を送ることが出来ました。
その文章塾もとうとう最終回を迎えることになりましたが、ここで知り合えた皆さんがより広い表現への世界へと旅立たれることと思います。かく言う私も今までの人生ではありえなかったフィクションを書くという行為と文章塾で出会い、最近は他の表現方法も模索しているところです。
この文章塾で出会った皆様と、最後までお世話係としてお忙しい中をご尽力いただいた木の目塾長に感謝の気持ちをお伝えしたくてペンを取りました。」

思い出すことが多すぎてとりとめがなくなりそうだった。
初めてフィクションではない自分の気持ちを書いた文章を投稿し郵便局から帰った後、荷造り途中のスーツケースから荷物を全部取り出して、バックパックとカメラバックに必要最小限のものだけを入れなおした。ペンと紙、少しの着替え。必要最小限のカメラとたくさんのフィルム。
そう、旅は身軽な方がいい。
今度はいつ会えるかわからないけど、きっとその頃にはまた新しい何かが始まっているような気がする。
ドアを開けると5月終わりの眩しい光が僕を包み込んだ。

(文字数:800)
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