#028-0002「作法の夢」2008年08月17日 16時49分49秒

 真直ぐな夢と湾曲された投影は、幾つもの次元と感情の起伏を執り成し、合意されるある閥域を通過する。響きには、背景と隆起する溜息が必要だ。
 要因になる愛の雫は、必ずしも、いえ絶対含有という受容の海になだれ込むが、その迸りになるか、或いは静かに伏流する。
 共感という振動は、単独にありながら、個々の振動域との違いを楽しむ。それは合同と差異の光の曲折でもあるのか。
 磁場がいのちである。電気と光が神の遊戯としての開闢へとステージを開く。


 『一粒の砂の中に世界を見いだし、野に咲く一輪の花に天国を見いだすには、手のひらに無限を感じ、時間の中に永遠を感じなさい。』
   ~ウィリアム・ブレイク~


 私は私でなく、愛の私が主であり、世界を従属させるのだ。エゴは影であり、主であることを主張する夢の夢であるが、焦点としてのエゴは重大な役割を果たす。
 響きは留まる事を知らず、ただ喜びを奏でる。夢の投影は心の記憶へと、忘却という時間の淵を彷徨いながら、記すという偉大な物語を発明したのだ。

  なにもせず
  なにものもなく
  なにかきて
  なにするものか
  ゆめのぶたいで

 創るという夢の現場で、則るのは、かの神の作法である。唯一であることの無限大の展開は、ある制限を慈しむ。美しい花が宇宙に播種するのは、読まれるべき夢の跡を思い出す縁である。
 誤解を産むに等しいが、真実には、作法だけがあり、命はその音符だけである。言葉を代えれば、命は重層なる重なりであり、「私」というのは居ない。
 則るというのは、違いを喜ぶ為であり、ゲームをゲームとして真剣にしなければ興が冷めるのと同じである。
 人生は舞台である。科白は決まっているが、その想いの転変万化は、時空の地位を明らかに高める。
 文言はただ一種であり、喜びのシンフォニーに延べる変奏曲でもある。

 私はなくとも、あなたは確実に居る。この逆説的真理にどれだけ助けられたか。感謝と奉仕という神の技に誰も抗うことは出来ないであろう。
(文字数:800)
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コメント

_ トゥーサ・ヴァッキーノ ― 2008年08月27日 21時59分18秒

もう、ここまできちゃったら
この作者は
文章塾の斬り込み隊長
ですね!
隊長と呼ばせて下さい!
エネルギッシュ&ギルガメッシュ!
この記事のコメントに、「!」マークが多くてすいません。。。

_ よっぱ ― 2008年09月07日 16時04分12秒

そうか、こういう法則にのっとってかの文章は世界を描くのですね… って、この文章も真似できません。
少し、詩的な表現も出来るように参考にさせていただこうと思ったのに…
人生は舞台である~変奏曲でもある。 いいなぁ

_ おっちー ― 2008年09月12日 23時33分17秒

 いや、間違っても、生まれ変わっても、このような文章を書くことはできないですね。
 この文章を書くには、「生き方」から変えないと。真実を見据える、独自の視点。それがないと。
 これからもよろしくお願いしまっす!

_ ウラジーミル・コマ子 ― 2008年09月19日 16時38分40秒

作法から自由のようにみえて、秩序あるうつろい。
書かれてあることがそのまま実作(例)となっていて、読んでいると愉快になる、夢幻の変奏。
文体ではなく、作法、と思いました。

_ 作法の夢から ― 2008年09月20日 18時03分37秒

 みなさまコメントありがとうございます。
 作法とは私には大人の事ではないかという危惧を捨て、思いのままに書きました。

トゥーサ・ヴァッキーノさま
 エネルギーの振動が命でしょうか。わたしあなたなく、事象の区別無く、揺れ動く疼く夢。

よっぱさま
 そうですそれ以外にありません。例外がないという夢の拡張は、逆説的に例外という夢を見せてくれているのかもしれません。

おっちーさま
 えっひ、あっひ、私はただ、禿の中年男です。ごく普通の短足のちょっと図々しくしたいと思う、気の弱い性格です。どうも。

ウラジーミル・コマ子さま
 作法とは一体真実の変形か、みたいな。なによりも見えない事の大いなる夢の現場。それを支配しているのは何か。でも見えていることだけでも必要十分なのです。「上にあるごとく、下もかくのごとし」。

_ つとむュー ― 2008年09月21日 22時11分57秒

この作者の文章作法が知りたかったなぁ~、と思いました(笑)。どんな風に、このような作品を書いているのか、具体的なコツなどなど・・・
こんなことを書いてはいけないんですけど、今回のリレーでこのような作品が書けるかどうかチャレンジしてみました。とても難しかったです(泣)

_ 作法の夢から ― 2008年09月23日 09時41分19秒

 まずはペンを持ち、それを天と地に向かって垂直にし、そしてペンと私を合体する。そのとき意はすでに宇宙へと棚びかし、心はその旅に阿(おもね)る。ある時点において、委(ゆだ)ねと意識のバランスがゼロ地点に来たとき、大いなる意思が発揚され、共にあることの、ひとりでいることの、奇跡とその発露が、キーボードへと運指する。
 あっひー、時間とは余りにも幻覚的な、空間とは余りにも幻想的な。

_ 作法の夢から ― 2008年09月23日 09時43分37秒

つとむューさま コメントありがとうございます。

 逆転する夢の、現実とは、ただあなたの意図する宇宙にしか、判断基準はありません。そう自由なのです。愛があなたの本性であるように。

_ マロ ― 2008年09月23日 23時10分17秒

という訳で、この作品でもお気に入りのフレーズを。
「響きは留まる事を知らず、ただ喜びを奏でる」
これがいいですね。
基本的に、生きる喜びに満ちあふれています、全て。
この姿勢、見習いたいものです。

_ ぎんなん ― 2008年09月24日 01時07分34秒

文章作法なんて言語化できる程確立していない私は、なんだかめくるめく思いなのですよ。エゴを全てとして生きている私が、いつの日かエゴをただ焦点として、夢の夢にすることはできるのでしょうか。
> 『一粒の砂の中に世界を見いだし、野に咲く一輪の花に天国を見いだすには、手のひらに無限を感じ、時間の中に永遠を感じなさい。』
ああ、いい言葉に出会いました。ミクロを覗き込むのが好きな私を勇気づけるような言葉です。

_ なぎさひふみ ― 2008年09月25日 19時45分49秒

マロさま
 コメントありがとうございます。生きる喜びとは包括的でありながら、刹那的な断面でもありたい。それは悲しみも苦しみも意味を報せる大事な事として。
 個は、象徴としての全の一断章であるならば、全なることの喜びをも伝えることではないかと。

ぎんなんさま
 コメントありがとうございます。先人の言葉の多くは、埋もれています。その輝きは、今の時代の慌しさに消し去れて、忘れ去られているようです。が、輝きはいつも放っています。そう言葉どおりに、どの焦点に意を注ぐかだけです。そしてそうなると、そのままに現実的に掴めるはずです。そういつも人は世界を創造しているのですから。

_ BHW ― 2017年04月13日 22時10分25秒

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