#010-0045 「水蜜桃」 [夏雪]Dinkum_Thinkumさん2006年08月16日 12時19分18秒

 霧島先生、先日は水蜜桃をどうもありがとう。そんな季節だったかしら。あれも前厄からずっと臥せってゐたのだけれど、とうとういけませんでございました。草履をはくのだから、雪融けのぬかるんだみちが嫌なのだ、だからおもてへは出ないのだと言いはってゐたのが懐かしくて、そぞろ涙がこぼれて参ります。下男に達吉と言ふのがゐて、それなら濡れても大丈夫な草履ぢゃどうだと、丸善でビニイルのを買つてあげたらえらい剣幕で叱られたといふ話はしましたよね。
 それから容態が急変して、もう上体を起こすのも辛ひやうでした。私も前前から先生にあと数日と知らされて心得ていたから、覚悟を決めて、何が食べたいだの何が見たいだの聞いていたら、例の雪の話が出てきたのです。「今は夏ですから雪などと莫迦を言つては困ります」と、きつぱり言ふのをあれは聞き容れません。女中に達吉には黙っておいでと言つたけれど、結句伝わつてしまつたやうです。達吉は若い衆も集めて夜なべをしてあの紙片を切ったのださうです。翌朝みんなして屋根へ登り、書窓の辺りめがけて一日中障子紙の紙片を振り撒いてゐたとのことでした。畢竟午後になってずっと臥していたあれが上体を起こして、窓の外をしきりに眺めてゐたのです。そうして「ああ綺麗だ、ああ綺麗だ」と、しきりに感歎して涙を浮かべてゐたのです。私は咄嗟にああもうこの人は死ぬのだなと思つて、達吉の撒く白ひ紙片がほんたうに綺麗な雪のやうな気がして涙がぽろぽろ流れて参りました。
 その達吉が棺を抱いて「だんさんおらが悪かった、だんさんおらが悪かった、樹脂の草履なんかこうて悪かっただよ」と、えんえん繰りかゑしながら泣きじゃくるものだから、皆、貰い泣きに泣いて、達吉は心の清らな男だとは判つてゐるけれども、ほんたうはあんな湿気つた葬儀はいやだったのです。
 水蜜桃いい匂いだわ。夏ですものね。おからだご慈愛下さい。草々。貴世子。
(文字数:792)

コメント

_ おさか ― 2006年08月16日 16時14分03秒

あ、いい感じ。縦書きで読みたいなあ、これ。
達吉さんがいいですね。顔が浮かんできそうです。
ひとつ引っかかったところは
>とうとういけませんでございました
あっさり、とうとういけませんでした、の方がしっくりくるように思いました。

_ 秋尾 ― 2006年08月16日 20時16分33秒

当意即妙?

_ まめひよ ― 2006年08月18日 16時16分11秒

達吉の涙に私も皆と一緒にもらい泣きしそうです。
貴世子さん、品があるのに、ちょっと気怠そうな印象と強そうな印象とがあります。
それにしても、すごいですね。これだけの物が書けるのか……と。
しかもタイトルが水蜜桃だというのにも感心です。

「とうとういけませんでございました。」
これに同じく引っかかりました。
教えて頂きたいことた1つ。
草々に前略は省いてもいいものなのでしょうか?
すみません。恥ずかしい質問で……。しかもこんなところで……。

_ まめひよ ― 2006年08月18日 16時17分17秒

「草々」に「前略」は~
すみません。

_ あかとり ― 2006年08月18日 21時51分26秒

一読後、箪笥の奥に長くしまっておいた手紙を偶然発見したようなデジャブを感じました。
文章から和紙の香りが漂ってくるような秀作だと思います。

※私はこの作品に投票しました。得票数は非公開なようなので自己申告します。

_ 水蜜桃の作者 ― 2006年08月18日 23時50分11秒

おさかさんありがとうございました。
縦書きで読みたい気持ちわかります。「ゐ」とか変換に苦労しました(笑)。

秋尾さんありがとうございました。
辞書によれば、当意即妙は「その場の状況や変化に対して、即座に機転をきかして対応すること。気がきいていること。また、そのさま。」意味深ですが、すべての投稿に繊細な熟語のプレゼント。感服です。

まめひよさんありがとうございました。
確かに草々に前略は必要かもしれません。「草々。貴世子。」というのは声に出して読んだときすっごく良い感じだから草々といれてしまったのです(笑)。声に出して読んだときどうかということで貴世子という名前にも当然こだわりました。

あかとりさんありがとうございました。
投票、そして投票の申告、ものすごく嬉しいです。本当にありがとう。「箪笥の奥にしまっておいた」は的確な比喩表現です。


 あさはかに見えるかもしれませんが、自分で自分の文の完成度に舞い上がっている状態ですので失礼があったらお詫びします。皆様コメントありがとうございました。
 失礼ついでに、超おこがましいですが「せいさく秘話」を書きます。
 その晩、生涯を通じてゆうに百回以上読んでいる芥川龍之介の「手巾」を読んでからこれを書きました。書き上がってモニターの前でガッツポーズをとりました。
 一ヶ月ぐらい経過して読んだら褪せているかもしれませんが、また、自分の書いた文章を「作品」というのは不遜かもしれませんが、ハッキリ言ってこれは自信作です。
 人様の意見に関係なく、また賞に関係なく、自分としては、いまのところ、これ書いちゃった自分をほめます。
 ご指摘の「とうとういけませんでございました。」は、作者自身、同感します。「とうとういけませんでした。」のが良かったかもしれません。しかしいまのところフィフティーフィフティーです。
「手巾」にご婦人のセリフで、全く同じ
「あれもとうとう、いけませんでございました。」
というのが出てきて、読後の影響下にあったことは否めません。

_ つとむュー ― 2006年08月18日 23時56分06秒

自宅で、そして畳で最後を迎えられるのって、いいですね。延命措置なんて、無粋な言葉も必要ないし。この文章を読んで、いいなあ、と感じている僕は、やっぱり畳で最後を迎えたいと思っているのでせう。

_ こば ― 2006年08月19日 01時54分13秒

 美しく大正〜昭和初期風の、風情のある文章ですね。
 コメントを読んでいて出てきた「芥川」の名前に納得です。
「とうとういけませんでございました」自体は別にひっかからないのですが、他の語尾と少しブレが出ているような気はします。他の語尾に比べて、ここだけ丁寧が過ぎると申しますか。
 それとも関連するのですが、私としては「霧島先生とは誰ぞや」の方にうっかり気を取られます。先生なんだから目上だけれど、先生にしては気安いよなぁ、お医者先生ではない訳だし、なんて。
 敬語レベルの統一で音律にもより一層の磨きがかけられるのではないか、と思います。
 ご本人が自信作と仰るのももっともな作品と思いますが、それだけの作品であるからこそ欲張って「後一声」と申し上げてしまうご無礼、お許し下さいませ。

_ mukamuka72002 ― 2006年08月19日 17時25分51秒

》とうとういけませんでございました。
私はここ好きですよ。実在する貴世子さんの生の言葉です。
良いものは、音楽でも小説でも何十回何百回も繰り返し楽しめるものです。
芥川もそうですね、そして本作もそうです。
貴世子さんの声が聞こえてくる様です。
お見事でした、文句なし!

_ なぎさひふみ ― 2006年08月19日 20時28分15秒

こころのこりの ためしかえしに ゆきをちらして ここにあなたの ゆめかないしや やさしきいのち こころにいきて

_ 水蜜桃の作者 ― 2006年08月19日 22時09分53秒

自分で芥川龍之介を読んだあと書いたなんてすごい生意気だと思いました。すいません。「人様の意見に関係なく」なんて書いてて、文なんて人様に読んでいただいてナンボなので取り消したい。すいません。






つとむューさんありがとうございました。
>自宅で、そして畳で最後を迎えられるのって、いいですね。
この文章にこのような感想が出るとは思いませんでした。どちらかというと西洋館のベットを想定していました(笑)が、コメントありがとうございました。


こばさんありがとうございました。
霧島先生は誰だか作者もハッキリしてません(笑)。ただ「霧島先生、先日は水蜜桃をどうもありがとう。」で始めたかっただけです(笑)。逆に言えば誰でも良いと思っています。僅か800字の文では、総ての~~関係を明確にする必要はないと考えます。


なぎさひふみさんありがとうございました。
紙片に過ぎない雪を見て「ああ綺麗だ、ああ綺麗だ」というのが、この文の白眉ですから、なぎさひふみさんは文章を的確に捉えてらっしゃると思いました。コメントいただいたことに感謝申し上げます。

_ 百吉 ― 2006年08月20日 23時43分19秒

あ、いい感じ。
雪景色の様もすてきですが、昔の人のお手紙スタイルに好感を持ちました。
「とうとういけませんでございました」と「あれ」が気になりました。
男性が細君を「あれ」というのはわかりますが、女性が旦那様をいくらへりくだっても「あれ」というのだったかしら…と首を捻ってしまいました。
ごめんなさい、このへん私もよくわからないので、間違っていたら申し訳ないです。

_ 木の目 ― 2006年08月21日 13時07分13秒

”自分で芥川龍之介を読んだあと書いたなんてすごい生意気だと思いました。すいません。「人様の意見に関係なく」なんて書いてて、文なんて人様に読んでいただいてナンボなので取り消したい。すいません。”

いえいえ、これは傑作です。それは間違いありません。

_ つとむュー ― 2006年08月21日 13時29分21秒

「どちらかというと西洋館のベットを想定」でしたか・・・。何で僕は畳の部屋を連想してしまったのでしょう?おそらく「草履」、「障子紙」という単語があったので、「草履」で外に出られる「障子」のある部屋を勝手に思い浮かべてしまったのでしょうね(他の方はどうでしょう?)。
実は、そんな縁側のある部屋から見えるように紙片を一日中撒いていた達吉は、さぞかし大変だったろうと思っていました(庭はまさに雪景色になったでしょう)。洋館の小さな窓なら納得です。

_ よっぱ ― 2006年08月21日 19時58分48秒

途中くらいから綺麗な筆文字が頭に浮かび、その後何度読み返しても頭から離れません。
画面では間違いなく今の文字なのですが頭というか目に入ってくるのは便箋に書かれた綺麗な筆文字です。

_ incacola ― 2006年08月21日 22時18分01秒

読み心地、口ざわりのよい文章でした。
近代文学!?芥川は出てこなかったのですが、
女性言葉に太宰の「斜陽」を、
病床で雪を、というところに賢治の「永訣の朝」(あめゆじゅとてちてけんじゃ)を想い浮かべていました。
(私の文学素養の乏しさでご勘弁を(^^ゞ)
「水蜜桃」の題名もビンゴな気がします。

_ トゥーサ・ヴァッキーノ ― 2006年08月22日 07時22分56秒

今回は、「真夏の雪景色」というお題で、「夏に雪が見たい」というわがままに翻弄される主人公を描く方が多かったように思います。あと、福の神っていえばなぜか関西弁だったり・・・でも、それぞれ違った視点でそんな状況を描いているのですごいと思いました。

_ 水蜜桃の作者 ― 2006年08月22日 08時14分52秒

百吉さんありがとうございました。
確かに旦那さんを称して「あれ」とはいわないかもしれません。「手巾」の読後に書いたのでその影響が出たのだと思いますが「手巾」では息子さんを称して「あれ」というのです。でも貴世子さんはハイカラな新しい考え方のヒトで、封建的なしがらみのないヒトなんです。と、いうのはダメでしょうか(笑)

木の目さんありがとうございました。
ありがとうございます。傑作とはおそれおおいお言葉です。ところでまったく関係ないことですが、傑作をカタカナで書くと「ケッサク」ですが、ガラッと変わって諧謔的になるもんですねえ。

つとむューさん再コメントありがとうございました。
なるほど草履、障子紙とあるので、確かにタタミっぽいですね。縁側なら大量に撒かなければならないけれど窓なら大丈夫という考察もその通りです。
結局800字に過ぎませんので細部を揚げていったらキリがないほど矛盾点があらわれるものです。人間関係、時間経過との整合性、舞台設定、それらを理路整然とさせることは必要ですが、やはり文章として面白いか面白くないか、とか、雰囲気があるかないかのほうが重要に思います。コメントありがとうございました。

よっぱさんありがとうございました。
「便箋に書かれた綺麗な筆文字です」とありますが、まさにそのようなものを私も思い浮かべて書いておりました。良いコメントを頂戴したことを感謝申し上げます。

incacolaさんありがとうございました。
おっしゃるとおりです。確かにこの文は芥川龍之介というより太宰治の饗応婦人とか斜陽の感じですね。宮沢賢治のそれを知りませんでした。正確な読みとっていただきタイトルをおほめいただきありがとうございました。

トゥーサ・ヴァッキーノさんありがとうございました。
なるほど確かに夏に雪がみたいというわがままに翻弄されるというシチュエーションが多いですね。気づきませんでした。課題を見たとき私が真っ先に思ったのは加藤大介の『南の島に雪が降る』で、ぜったいアレを題材にしたものを誰か書くだろうと思っていたら誰も書いてなかった。いろんな感じ方ありますね。

_ 秋尾 ― 2006年08月22日 09時33分05秒

ゐとかゑにこだはるあなたありがたう\(^o^)/

_ コマンタ ― 2006年08月24日 00時34分49秒

文章がいいし、センスもいいし、ガッツポーズも出るというものです。ああ綺麗だ、というところでぼくは「蜜柑」を思い浮かべました。近ごろ活躍する小説家たちはあまりこういう趣のものは書かない(書けない)ようですので、応援したいなあ。

_ 鉛筆カミカミ ― 2006年08月24日 02時46分37秒

「あれ」ということで、最初は、旦那が妻のことをを言っているのかと思いました。
でも「だんさん」と出てくるし、差出人は喜世子だし、で、「あれっ」となりました(おぉ、駄洒落になってゐる(笑))

失礼ながら、初めに読んだ時は昔風の文体に「読みにくいなー」という感想だったのですが、2度3度と読むうちに、愛着が湧き、この文章が好きになりました。
筋書きも、感動出来てグッドです。

_ いづみ ― 2006年08月25日 16時55分53秒

達吉さんのまっすぐな生き方がいいです。
彼の話で手紙が書けるなんて。
そういう人が周囲にいると、人生はぐっと楽しくなりますね。

_ でんち ― 2006年08月25日 18時52分19秒

こういう作品を味わえる読者になりたいものだ、と思うのですが、
いけませんでございました。ガキな私。

_ めきし粉 ― 2006年08月25日 19時13分53秒

私の頭の中にある、氷が無いので、水で洗った氷砂糖を用意したという話はなんだったか、忘れてしまったのですけれど、そういう話の向こうにある、作り物であるのが判ってしまうものに、それを含んで偲ぶ雪に深みを感じました

_ ぎんなん ― 2006年08月25日 23時32分13秒

うわあ、これはすごい。
内容は旦那さんと達吉さんの事なのに、語り手の貴世子さんの姿がふわぁと浮かんでくるようでした。「水蜜桃」というタイトルも、いいなぁ。感嘆。ため息。

_ 蝶子 ― 2006年08月31日 07時11分14秒

私は「おからだご慈愛ください。」のところで辞書とにらめっこしました。
で、あ、そうなんだ、これでイイのかと結論しました。
私自身は「季節がらどうぞご自愛ください」と手紙を締めくくることが多いので、ちょっと考えたわけです。
作者がわからないまま、前回もぞの前も投票してしまったDinkumさんに、今回もそれと知らずに投票いたしました。拍手。

_ manicure ― 2017年05月04日 08時36分56秒

Thanks for another informative site. Where else may just I get that kind of information written in such an ideal means?
I've a undertaking that I'm simply now running on, and I
have been on the glance out for such information.

_ hepatitis c foot pain ― 2017年07月04日 00時47分28秒

Because the admin of this site is working, no doubt very shortly it will
be well-known, due to its quality contents.

_ foot pain chart diagnosis ― 2017年07月04日 17時23分40秒

Hello there, You've performed a great job. I'll definitely digg
it and for my part recommend to my friends. I am sure they'll be benefited from
this web site.

_ choc ― 2018年04月30日 10時55分16秒

It is appropriate time to make some plans for
the future and it is time to be happy. I have read this post and if I could I want to suggest
you some interesting things or advice. Perhaps you could write next
articles referring to this article. I want to read even more
things about it!

_ choc ― 2018年05月02日 14時47分22秒

Fine way of describing, and fastidious piece
of writing to get information regarding my presentation subject, which i am going to
present in university.

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック